『かわいそう』と『大変だね』の違い~言葉の向こうにある気持ちを考える~

とある地域の事務と地域マネージャーになり数年。
最初は分からないことだらけ、コロナ明けでさまざまな事業が復活する中で、一人事務のため分からないながらに行事の準備をしたり、会議に入ったりり戸惑うことも多かったのですが、今では地域の皆さんとのつながりを感じながら、コミュニティの大切を感じやりがいを持って取り組んでいます。
そんな中、私が普段している仕事に一部外部の方に関わってもらうことがありました。
その時に久しぶりにモヤっとした出来事があったと同時に私にとっても大きな気づきがあったので書き留めておこうと思います。
何気ない会話で言われた一言
先日、地域の方に自治会の仕事の一部をお願いした時のこと。その方から面と向かってこんなことを言われました。
「こんな仕事、私なら嫌だわ。こき使われてるやん、かわいそう」
会計の内訳を見ればどんなことをしているかが分かりますよね。
日々の事務仕事に加え地域の取組みで必要な買出し、事務以外の役割もやっていたりします。
事務だけやっていれば務まるかというとそうでもないのは事実。
今まで過去にしてきた仕事での接客経験や、自分のお店を持っていた時に自分で企画・段取りをして小さなイベントをしていた経験がかなり役に立っていると感じているから。
そして人との繋がりと切ってきれない仕事だから、そういうのが嫌な人からすると無理!となるでしょう。
まさかそんな言葉をかけられるなんて思ってもいなかった私は???です。
「え?私哀れに思われてる?」と言い返すほど。
聞いていると、正直なところ心が不快になっていきました。
「かわいそう」という言葉が持つ重み
後日、偶然読んだ記事で、イメージコンサルタントの吉原珠央さんが「かわいそう」という言葉について書いているのを見つけました。
その記事によると、「かわいそう」という言葉には「残念ながら今のあなたは、とても哀れで不幸です」という烙印を勝手に相手の未来に押しつけている側面があるとのこと。
確かに、知り合いの言葉を振り返ってみると、彼女は私の状況を「不幸」だと判断し、勝手に「かわいそうな人」のレッテルを貼っていたのかもしれません。
「かわいそう」という言葉には、相手に共感し寄り添うような温かさが感じられない——この指摘に、深く納得しました。
言葉がくれた振り返りのきっかけ
でもね、少し時間がたって考えてみると、自分にとって振り返りのきっかけでもありました。
私自身も、誰かのやっていることに対して軽い気持ちで「大変そう」「かわいそう」なんて言ったことはなかったかな?
もしかしたら私も気づかないうちに、誰かを「かわいそう」という目線で見て、勝手に不幸の烙印を押してしまっているかもしれない。
知らないうちに相手を傷つけるような言葉を口にしていなかったか、点検する機会になりました。
大変そうな状況の人を見かけたとき、「かわいそう」ではなく「大変だね」「大変だったね」と、心から寄り添える言葉をかけられる人になりたい。
そんなふうに強く思いました。
久々に心が不快になり、モヤモヤな気持ちに気をとらわれましたが、少しは経験値も溜まっていたのかすぐに気持ちを切り替えることができました。
心を守る考えかた
・私がそう思っていなければいくらかわいそうと言われても受け入れなくていい
(その言葉は受け入れなくていい!そうですか。で跳ね返す◎)
・言った方は悪気はなくて大変だと言いたかったのかも?
・私はそういう時は寄り添った言葉を周りにかけようと思えたら良い
昔はこんなこと言われたら、もっと引きずっていたかも知れない。
でも人との繋がりって、プライスレスな財産だなって感じることもあるから。
私の考えを大切にする。
私が仕事に込めている想い
改めて思うのは、私はこの仕事を「やらされている」のではなく、自分で意味を感じて取り組んでいるということ。
大変なこともあるけれど、そこには私なりのやりがいがあって、だからこそ続けられているんだと思います。地域のことだからとボランティアが当たり前になることはいけなとは思いますが・・・。
一言が与える影響と学び
言葉は時に人を見下すように響いてしまう。
けれど、同時に自分の大切な想いを確認するチャンスにもなる。
今回の出来事は、そんなことを考えるきっかけになりました。
みなさんは、何気ない一言にモヤモヤした経験、ありますか?
相手が話してくれたことに対して自分ならそんなことがあったら嫌だと思う内容でも、一呼吸おいて相手に寄り添う言葉を選びたいですね。
人は誰しも、無意識のうちに他人を判断してしまうことがあります。でも大切なのは、それに気づいて、より良い自分になろうと努力すること。
今回の経験は、そんな当たり前だけれど大切なことを、改めて教えてくれました。
これからも、相手の立場に立って考えることを忘れずに、地域の皆さんと関わっていきたいと思います。
さいごに
人は誰しも、無意識のうちに他人を判断してしまうことがあります。でも大切なのは、それに気づいて、より良い自分になろうと努力すること。
「かわいそう」という言葉の向こう側にある、本当の意味を考えることで、もっと相手を思いやれる人になれるのではないでしょうか。
今回の経験は、そんな当たり前だけれど大切なことを、改めて教えてくれました。
参考記事:その言い方は「失礼」です! – 幻冬舎ゴールドオンライン